我が家から見下ろす瀬戸の海に白い波が立つことは滅多にない。常に何もない様に横たわっている。
海の色は空の色の投影だと思っていたが、当たってないことはないが、そうで無い部分もある様だ。
真っ青な空の時は濃い群青の海が美しい。重い雲一面の空の時は雲の色に海はなっている。が、雲に覆われた空の下で海が青い色を保っている日もある。おそらく大気の温度や湿度でも微妙に海の色は変わるのだろう。確かに言える事は海は一日として同じ色をしていないという事。
夕映えの海の美しさは格別だが、海を毎日見ているとその色の変幻は太古の昔から変わらず、毎日色は違ってきていたのだろう。
その海を見下ろす家の裏の高い山は冬の最後の姿を見せている。
すっかり冬の山になり切ってから二か月位は経つだろうか。枯れる葉は枯れ、常緑樹の枝の緑も冬の色に定まってから動かず、眠った様な冬の山を毎日見上げているうちに、動かず眠った様な山の色も微かではあるが微妙に毎日違う事を発見した。大気の具合でそうなるのか?さらに目を凝らし、耳を澄ませば、眠った山のようではあるが蠢いている気配を感じる。いずれ来るであろう春を予感している様に思えるのは人間の勝手な解釈だろう。が、確かに山は蠢いている。
海は生きている。山は生きている。ささやかに人も生きている。
山と海に挟まれた家に日々暮らせる幸せを感じる。
濡れ縁に出て熱い緑茶を一杯飲むだけで充分だ。

怒り狂った台風が次から次へやってきて、来る日も来る日も怒りが収まらない様な太陽が照り付けた猛暑の夏も、台風25号で終わり、久方の平穏が訪れている。あちこちに秋になった証が見られる。
モミジは夏の暑さを乗り越え無事に生き抜いた。葉達が紅く染まり始めようとする意志を見せている。朝、濡れ縁に座って秋晴れの陽の下のモミジの一葉一葉を見つめ渡していると、過酷な夏を乗り越えた誇らしさを訴えている一枚一枚を感じる。葉の底にはこの秋、真っ赤に紅葉する準備が整った気配がうかがえる。が、表に色はまだ染め出てはいない。
山査子、くろもじ、木斛(もっこく)、枝垂桜、文の木、河津桜、月桂樹、金木犀、山茶花、椿、松、梅、夏椿、さるすべり、紫式部、つつじ。庭を占めるこれらの樹もそれぞれが季節の移り変わりの準備を、人に識られない様に、毎日少しずつ密かに、しかし確実に進めている。耳を澄ませ息を殺して五感を研ぎ澄ませば全ての樹が別々の独特の言いぐさで季節の移り変わりの感嘆をぶつぶつつぶやいてくれている。
そのつぶやきが交じり合い響き合い大きな渦となり、波紋が収まる様にその内その響きの中から一筋の言葉が現れてくる様な気がする。それらは言おうとして言えなかった私のたくさんの言葉かも知れない。又、聞こうとして聞けなかった彼の人の言葉である様にも思えてくる。
淡い芙蓉をすかす陽ざしの中に迷い込む幻覚へと身をゆだねる秋の晴れた朝の心地よさ。
都忘れの控えめな紫が今朝はとりわけ美しい。

今も鳴き続けているが、今年の鶯はひどかった。
春になると山から降りて来て秋になろうという位まで鳴く。今年は「ドキッドキッね!」と私には聞こえる鳴き方の鶯が居付いた。鶯は母親が鳴いた通りに鳴くそうで、さぞ親を恨んでいるだろうと思いきや、鶯はそうは思うまい。自信満々にひどい鳴き方で誇らしげに鳴いている。「ホーホケッキョ!」が何故「ドキッドキッね!」なのだ!!
鳥の声はよく響く。響かせてやろうという邪心がないから空気に素直に溶け込み、陰りのない純粋な響きがよく響く。鳴く事に何の不安もないから更によく響く。
41年間休む事なくやってきたリサイタルを終えた。
シューマン、ファリャ、エネスコ、モーツァルト、ニンの作品を演奏した。
言葉で音楽を、演奏を、語ったり書いたりするのは難しい。書いてみると殆ど言い当ててないという事は自信を持って言える。時間芸術だから時間の経過の塩梅の良し悪しという事は言える。人間、頭に頼る事を善しとする所があるから頭に頼ってその塩梅をつかんで演奏しようとすると時間が生きないで死んでしまう。自然の摂理が息づいている世界に未来永劫流れ続ける絶対的な時間の流れというものがあり、それに触れると人間誰しも何とも言えない幸せな気持ちになる。誰でも死というもので生が遮断されるという事を本能的に確信して生きているから、永劫に変わらないのだろうと思わされるものに触れたくなるのだろう。そんな絶対的な時間に触れる様な演奏を聴衆も演奏者も求めているのかも知れない。
雨の音、林を抜ける風の音、海の音、鳥の声。人為の入らない自然界に流れる音はよく耳を澄ますと絶対的な時間の流れをハッと感じさせる。夏椿の白い花が庭に浮かんでいる。サンザシのまだ白い実が風に揺れている。響き渡る「ドキッドキッね!」と鳴く鶯の声にも何故か一瞬、未来永劫流れる時間を感じてしまった。
今年のリサイタルを終え、音楽を更にいとおしいものと思う気持ちが湧いてきた。

↑このページのトップヘ