明日は節分。我が家の畑は、白菜、キャベツ、大根、高菜、セニョールスティック、ほうれん草、ルッコラ、フェルトザラートが食べ頃。

採れたての野菜の味は美味いと言われるけれど、その実感を日々味わえるのは有り難い。採ってすぐの野菜はどの野菜にも共通の甘みがある。オクラにすらあり、ブロッコリーにもある。それらはオクラの甘みではなく、どの野菜にも共通の独立した甘みである。野菜の命の源とでもいうか、唯一無比の甘みである。味はそこから発生して個別の味を創り上げ、キュウリの味、トマトの味、ピーマンの味として現れてくる。

役者さんは味わいのある演技という言葉を使う。味のある演奏ともいう。味わい深い色の使い方、味なことをするじゃない!! と言ったりする。食べて分かる味以外に人間は味を感じるようだ。

味のある人物だとも言う。未開地の人喰い族は別かも知れないが、一般にはその人間を喰べた感想ではない。雲の無限さに、赤陽の沈む色合いの変化に味わいを感じる時もある。味覚をはるかに超えた味わいというものの実体は何であろう。時空を超えた時間と大気と色と音と、それぞれの感覚が刺激し合って生まれる実体の無い、しかし、手ごたえのある何らかの存在を感じさせてくれるものが味わいと言われるのかも知れない。生き物の中で人間だけに備わった特別の感覚かもしれない。雲の無限の変化に味わいを感じるイノシシはいるはずはない。

最近ひょんなきっかけから料理に目覚めて嬉しく作っている。少しずつ美味しく作れるようになってきている。

梅の花が一つ、一つと咲き始めた。「冬眠る」のこの時期の季節の色彩の環境の中で、白い色はそんなに鮮やかに目立つわけではない。しかしこの極寒の季節の中で一枚一枚花びらを開示した末の花は力強い意志を感じさせてくれる。春が到来する予知の役目をきちんと果たしている。この自然の営みの中にも味わいを感じる。味のある言葉、味のある人間、味のある社会が少しずつ少なくなっていく淋しさを感じる。味のある政治家はほとんど消滅してしまった。

凛として咲く一つだけの梅の花の力に人間は負けてはならない。満開の梅になった後、春がやって来る。