今のドイツはどうであろう?
私が留学した50年前のミュンヘンでは蝉の声は全く聞かなかった。
「第二次大戦前は蝉はいた。が、今はいなくなった。」「アメリカが進駐してからいなくなった。」
親しくしていた老年のドイツ人が悪くなったことは全てアメリカのせいにしていたのを思い出す。
宏樹庵では今年の夏もニイニイゼミから始まり、時間差でアブラゼミが鳴き始め、クマゼミがシャワーのように鳴き始めると夏もたけなわ。ヒグラシが静かな夕方に鳴き始める晩夏。ツクツクボウシの声はその夏の終わりを告げている。その声に何かが失われていく淋しさを感じる。
夏休みを宏樹庵の田舎で過ごす孫達を含めた13人の子供とその親達総勢20名の夏合宿が無事終わった。
瀬戸の海へ、錦帯橋での川遊び、中国山地奥深くの峡谷遊び、庭でのバーベキュー、花火。バーベキューでトウモロコシしか食べない最年少5歳の女の子。大事に飼っている昆虫の餌にする小さなバッタを夜になりきった真っ暗闇の中、夢中で採り続ける昆虫好きの小学3年生の男の子、不登校の溝に入り込んだ18歳の高校1年生が、巨大な薪を運ぶきつい肉体労働を、酷暑の中懸命にしているすがすがしさ。年齢差の混合が織りなし、創り出す人間同士の「場」の空気が、庭を覆う巨木の気と太陽の光とに混じって気持ちのよい大気が息づき漂っている感じがする。

(一)死んだ男の残したものは
   ひとりの妻とひとりの子ども
   他には何も残さなかった
   墓石ひとつ残さなかった

谷川俊太郎作詞、武満徹作曲の歌曲を6番まで暗唱するのが夏合宿参加の子供達全員のささやかな共通の課題。
大地も息をする。
アスファルトで固めたりセメントで固めたりした土は息が出来ない。世の中、見渡すと土のむき出し度合が少ない程、文明が開けている証明であるという思い込みがはびこり始めて200年近く経つであろう。よくも飽きもせず文明の進化を目指してひるまず邁進してきたものだと感心する。進化の奪い合いが「戦争」の質をどんどん変えてしまってきているようだ。

(四)死んだ兵士の残したものは
   こわれた銃とゆがんだ地球
   他には何も残せなった
   平和ひとつ残せなかった

宏樹庵から広島に投下された原爆のきのこ雲が見えたと、この地域の古老が言っていた。
地理的に広島がすぐそこのせいか、岩国は東京よりも原爆や戦争に関して社会がそのことを身近に感じている。8月14日は終戦の前日に米軍が行った岩国大空襲の日で、今でも空襲の時刻にサイレンが市全体に鳴り響く。8月15日にも戦争の記憶をとどめる一分間のサイレン。夏合宿の子供達は全員でサイレンに合わせて合掌、黙祷をした。

(五)死んだかれらの残したものは
   生きてるわたし生きてるあなた
   他には誰も残っていない
   他には誰も残っていない

夏を共に過ごした20名の老若男女の一人一人が自分の生命を感じ、他人の命をいつくしむ感覚をいつまでも留めておくことを願って、目の前にそびえる米山に手を合わせて祈る。
百日紅の鮮やかな桃色が青空に映える。

3月が近づいてくると伸びる草を取ってやる作業が欠かせない。
明日から雨なので玉ねぎ、ニンニクの草取りを今日しておく。
朝早く起きた。よく晴れた、冷気を感じる早春の一日。米山(300mクラスの岩国の山)の頂から、すーっと風が舞い降りて来て、草取りをしている私をかすめ、通り過ぎて海へと出て行った。今日の岩国は最高8℃、最低1℃。寒い。昨日東京から1週間ぶりに帰って来た。
渋谷、新宿、品川、池袋などの摩天楼地区には真っ直ぐ一直線に延びた四角の高層ビルが乱立している。真四角の巨大な箱が立ち並ぶ姿は人類の進歩の象徴の確信とみなして疑いのない光景である。
我が家は明治23年(1890年)に建てられた木造家屋で、金属の釘が全く使われていない四層の梁を露見させるようにリフォームされた。カーテンは一つもなくすべて障子で、年末の障子の張替えは妻が一人でやっている。大仕事である。
障子も襖も引き戸も畳もすべて直線だ。角々して直角の交わりでそれぞれが支えられている。が、巨大な梁は曲線を描いて、その曲線の力が大きな家の全てを支えている。自然界の中で曲がって成長した巨大な木を山で見つけ出し、切り出して使ってある。それが天井高く四層にもなっているので見るからに頼もしい。梁の曲線が住む人の心に柔らかさを与えてくれる。人の手で建てられた人工の家屋だけれど、住んでいて閉塞感はない。
草取りの手を休めて見上げると、晴天の米山に白い雲が浮かんでいる。快いアクセントを感じる。改めて気に留めてみると山の稜線も曲線なのだ。当然だ。その曲線は唯一つとして同一ではない。地球上のあらゆる山々で同じ形の山は一つもない。富士山の様な単独峰でシンメトリーぽいのは何となく似ていて、津軽富士とか榛名富士とか呼ばれているが同じではない、すべての山が固有の形を持っている。
林に目を向けると、木々の枝ぶりも同一の枝は唯一つとして無い。微妙な曲線が生え巡らされていて毎年新たに成長している。
自然界の生き物はすべて曲線で出来ている!!!
と、大発見をした感動のようなものが湧いてきた。
人間も生き物だから曲線で出来ている。手も足も目も耳も内臓も細部に至るまで全て曲線で出来ている。山や樹木と同じで、同一の人は一人としていない。人工は直線、自然界は曲線。
畑から見下ろすとはるか瀬戸の青い空の下の青い海の一直線の水平線が凛としている。その水平線は一筋真っ直ぐの直線に見えても、丸い地球の上に横たわる海だ。その直線は心地よい。直線ばかり追いかける気持ちを抑えて曲線をじっと見つめていたい。
12時のサイレンが鳴った。この自然に身を置いているせいか、サイレンの音も人工的に聴こえない。私の耳が曲線になってきてしまっているのだろうか。
昼たけなは。海の青が目にしみる。

青い秋の空がひろがる。それを映した群青の海も秋。
2023年の夏は暑かった。ずっと炎が点きっぱなしの夏だった。台風も特に少ない年で、一瞬でも冷める日がなく、暑さは休まなかった。
夏野菜の不作は(オクラは例外として)我が畑だけでなく全国的な現象だった。夏の酷暑の余波で開花が遅れていた金木犀がやっと香り始めた。最高気温24度、最低気温14度になってやっと秋が感じられるようになった。
夏野菜が終わり、次の季節の為の土つくりを終えた畑に冬野菜の高菜、かつお菜、セニョールスティック、キャベツ、セロリの苗を植える。ほうれん草、小松菜、大葉春菊の種を蒔く。ニンニクの植え付けも終え、あとは玉ねぎの苗を11月初旬に植え付ける。
海に近いので昼間の日差しで温まった海水の靄が、13度近くに温度が下がる明け方には作物には嬉しい露になりやすい。昨夜半、何か音がすると思ったのは夜の通り雨のようだった。わずかでも金木犀の花の芯を湿らせた雨が香りを薄めてしまうのでは…とうつらうつら寝入りながら思っていた。案の定、朝になるとあのわずかな雨でも香りは少し流されてしまって昨日より庭に漂う香りは薄くなっていた。予報では向こう一週間晴天が続く。まだ満開を迎えていない金木犀なので残りの蕾が開花し、香りを保ってくれるだろう。楽しみな数日を送れる。
以前、土地の古老の農夫が話してくれた。
「足音で育つちゅうて言います。」
植えた作物は何をする訳ではないが毎日見廻りをするその足音を聴いて育つ----という言葉は未だに強烈な印象で残っている。
海や川、山や空に息づいている自然の呼吸に合わせて食べ、息をし、眠り、物事を考える時間の流れ---それが近年さらにさらにせせこましくなった。L.コールというザルツブルグ生まれの社会学者が
「もし断崖の絶壁に立ったならば進歩の唯一の分別ある形は後ろに進むことだ。」
「進歩、成長、開発、発展の果てに我々が手にしたものと言えば各種『危機』ばかりだ。」
と言う主張の論文を発表して「気を狂わせるような愚作」とロンドンのエコノミスト誌から嘲笑されたのは1960年、それから60年間、その後も人類は前へ前へ、先へ先へ発展し続け2023年を迎えている。
今、真っ最中、駅周辺の新たな再開発で超高層ビル群がそのうち品川に出現するだろう。それぞれの街の特徴が完全に失われ、渋谷か新宿か虎ノ門か品川か識別がつかなくなったモンスターのような東京の都市群。2023年の世界の最先端を担っている人がその場所で激しく、毎日途絶えることなく深夜まで営みを続け切っている。
もうすぐハゼの葉が秋の晴天の空を燃やすように赤く染まる。
我が家の白壁に反映したハゼのその紅葉の色は一帳の絵のような趣を家に与える。過疎地の有難みを感じながら群青の秋の空の下に鎮座する米山(家の裏手にそびえる500m位の山)に手を合わせる。

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