怒り狂った台風が次から次へやってきて、来る日も来る日も怒りが収まらない様な太陽が照り付けた猛暑の夏も、台風25号で終わり、久方の平穏が訪れている。あちこちに秋になった証が見られる。
モミジは夏の暑さを乗り越え無事に生き抜いた。葉達が紅く染まり始めようとする意志を見せている。朝、濡れ縁に座って秋晴れの陽の下のモミジの一葉一葉を見つめ渡していると、過酷な夏を乗り越えた誇らしさを訴えている一枚一枚を感じる。葉の底にはこの秋、真っ赤に紅葉する準備が整った気配がうかがえる。が、表に色はまだ染め出てはいない。
山査子、くろもじ、木斛(もっこく)、枝垂桜、文の木、河津桜、月桂樹、金木犀、山茶花、椿、松、梅、夏椿、さるすべり、紫式部、つつじ。庭を占めるこれらの樹もそれぞれが季節の移り変わりの準備を、人に識られない様に、毎日少しずつ密かに、しかし確実に進めている。耳を澄ませ息を殺して五感を研ぎ澄ませば全ての樹が別々の独特の言いぐさで季節の移り変わりの感嘆をぶつぶつつぶやいてくれている。
そのつぶやきが交じり合い響き合い大きな渦となり、波紋が収まる様にその内その響きの中から一筋の言葉が現れてくる様な気がする。それらは言おうとして言えなかった私のたくさんの言葉かも知れない。又、聞こうとして聞けなかった彼の人の言葉である様にも思えてくる。
淡い芙蓉をすかす陽ざしの中に迷い込む幻覚へと身をゆだねる秋の晴れた朝の心地よさ。
都忘れの控えめな紫が今朝はとりわけ美しい。

今も鳴き続けているが、今年の鶯はひどかった。
春になると山から降りて来て秋になろうという位まで鳴く。今年は「ドキッドキッね!」と私には聞こえる鳴き方の鶯が居付いた。鶯は母親が鳴いた通りに鳴くそうで、さぞ親を恨んでいるだろうと思いきや、鶯はそうは思うまい。自信満々にひどい鳴き方で誇らしげに鳴いている。「ホーホケッキョ!」が何故「ドキッドキッね!」なのだ!!
鳥の声はよく響く。響かせてやろうという邪心がないから空気に素直に溶け込み、陰りのない純粋な響きがよく響く。鳴く事に何の不安もないから更によく響く。
41年間休む事なくやってきたリサイタルを終えた。
シューマン、ファリャ、エネスコ、モーツァルト、ニンの作品を演奏した。
言葉で音楽を、演奏を、語ったり書いたりするのは難しい。書いてみると殆ど言い当ててないという事は自信を持って言える。時間芸術だから時間の経過の塩梅の良し悪しという事は言える。人間、頭に頼る事を善しとする所があるから頭に頼ってその塩梅をつかんで演奏しようとすると時間が生きないで死んでしまう。自然の摂理が息づいている世界に未来永劫流れ続ける絶対的な時間の流れというものがあり、それに触れると人間誰しも何とも言えない幸せな気持ちになる。誰でも死というもので生が遮断されるという事を本能的に確信して生きているから、永劫に変わらないのだろうと思わされるものに触れたくなるのだろう。そんな絶対的な時間に触れる様な演奏を聴衆も演奏者も求めているのかも知れない。
雨の音、林を抜ける風の音、海の音、鳥の声。人為の入らない自然界に流れる音はよく耳を澄ますと絶対的な時間の流れをハッと感じさせる。夏椿の白い花が庭に浮かんでいる。サンザシのまだ白い実が風に揺れている。響き渡る「ドキッドキッね!」と鳴く鶯の声にも何故か一瞬、未来永劫流れる時間を感じてしまった。
今年のリサイタルを終え、音楽を更にいとおしいものと思う気持ちが湧いてきた。

東京の4年振りの大雪の日は上京していた。
巨大な黒い街を一夜にして真っ白に変え、静かに、途絶えることなく静かに一晩中降り続いた。たっぷり積もって朝を迎えた。一転して快晴。寒い快晴。雪が浄化した空気を突き抜けて強烈な光が積もった雪の上に降り注ぎ、都(みやこ)中が光に満ち溢れている。大都会が美しく輝いている。
雪は一夜にして大都会の醜さを消してしまった。徹して静かに降り積もる雪の夜にも人の様々な営みがあったであろう。見上げて空まで届きそうな樫の大木にも雪はずっしり積もっていたが、大木はこの位の雪ではびくともしない。雪化粧が似合っている。びくともしないだけの大きい根が巨大に地下に張り巡らされているのだろう。根の大きさと頼りがいを感じる。
はるか秩父の雪化粧をした山々も朝陽に輝いている。
山は更に大きな山の根が地中深くしっかりあるのであろう。びくともしない落ち着きと安心感を与えてくれる。山の根っこは地球の奥深く、赤道あたりまで張っているのかもしれない。そう思えば、この山の安心感は納得できる。
何につけ根は大事だ。根がしっかりした物はよく育つ。
風。風にも根があるのだろうか。大木よりも、山よりも風は大きく感じられる事がしばしばある。
風は姿は決して見せずに、木の葉の揺れ、海の波、竹の葉の揺れる音、地球のありとあらゆる物に通じて姿を感じさせてくれるが、見えない。これだけ大きくて偉大なものだから、根はどこかにしっかり生えているのだろうが、考えてもどこか解らない。風の根はどこだろう。
雪の朝陽は遮る物なく、更に強烈にその光と力を増して地球に射し注いでいる。
光が目に眩しくしみる雪の朝。万両の赤い実一つ、雪の合間から見え隠れしている。このどこかにも風の根がありそうな気配を感じた。
その根に響き届くヴァイオリンの一音を出したい。
ドサーッと松の枝から雪が溶けて落ちた。

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