我が家から見下ろす瀬戸の海に白い波が立つことは滅多にない。常に何もない様に横たわっている。
海の色は空の色の投影だと思っていたが、当たってないことはないが、そうで無い部分もある様だ。
真っ青な空の時は濃い群青の海が美しい。重い雲一面の空の時は雲の色に海はなっている。が、雲に覆われた空の下で海が青い色を保っている日もある。おそらく大気の温度や湿度でも微妙に海の色は変わるのだろう。確かに言える事は海は一日として同じ色をしていないという事。
夕映えの海の美しさは格別だが、海を毎日見ているとその色の変幻は太古の昔から変わらず、毎日色は違ってきていたのだろう。
その海を見下ろす家の裏の高い山は冬の最後の姿を見せている。
すっかり冬の山になり切ってから二か月位は経つだろうか。枯れる葉は枯れ、常緑樹の枝の緑も冬の色に定まってから動かず、眠った様な冬の山を毎日見上げているうちに、動かず眠った様な山の色も微かではあるが微妙に毎日違う事を発見した。大気の具合でそうなるのか?さらに目を凝らし、耳を澄ませば、眠った山のようではあるが蠢いている気配を感じる。いずれ来るであろう春を予感している様に思えるのは人間の勝手な解釈だろう。が、確かに山は蠢いている。
海は生きている。山は生きている。ささやかに人も生きている。
山と海に挟まれた家に日々暮らせる幸せを感じる。
濡れ縁に出て熱い緑茶を一杯飲むだけで充分だ。