真っ青で静かな瀬戸内の海ぞいを岩国から山陽本線で下って徳山の近くになると車内放送で
「岩徳線乗り換え!高水・岩国方面岩国行きは1時間40分の連絡です。」
1時間40分も待たされてもここでは連絡と言う。
宇部線、岩徳線、山口線など支線への乗り換えは15分~20分位の待ち合わせなら「すぐ電車が来る」という感覚になってしまう。30分~40分だと「まあまあ」1時間以上になると「ちょっと待つか!」
東京で山手線を10分も待たされると「いらいら」してくる。20分だと「言語道断!」
月に二度くらいは東京に行って、それぞれ4~5日滞在するので、この東京での「いらいら」と、山口県の支線を使うこともあるので何とも言えない「のんびり」と両方体験しながら生活をしている。
便利さと無駄を省くことを追求すると大都会の時間の流れになる。これからも物理学を基とした科学主義を基礎に置いた経済の原則を前面に人の生活は更に速度を速めて変化していくであろう。
その大都会の効率主義に遅れざるをえない地方の街。さらに取り残されてしまうもっと小さな村々。中国地方には中国山地の山あいと瀬戸内海の離島に無数といっていい程そんな過疎と呼ばれる集落が点在する。そこには今でもゆったりとした時間が流れて、その時間に乗って日が昇り日が暮れて人々が営みを続けている。バスは一日1本のみ。診療所には週三日だけ非常勤の医師が来るのみ。コンビニもスーパーも無い。そんな環境の中でゆっくりと時間を感じながら生活している人々の心根と、一分でも時間が惜しく、お互いにいらいらしながらひしめき合って一日が終わる大都会とを月に両方感じながら生活していると、人間とは限りなく柔軟性があるものだと感心する。
便利さがもたらす精神的不安と、不便さがもたらす精神的不安の比較は単純には出来ないが、便利さの方は不安に陥っているという自覚症状があまり無いという特徴があるように思える。
今夜も囲炉裏に炭を入れて晩酌。
炭の時折バチッという音をどきっとしながら聴き、程よい熱さの日本酒を喉に流し込む。
2016.3.10