10月18日、東京で朝を迎えた。その朝は待ち望んだ輝かしい陽射しを地球いっぱいに降り注ぐ様に明けた。窓は真っ青な朝の秋空から直線的に射す陽で祭りの様な華やぎ。が、それも朝、早い午後のみで又、すぐ雨になると言う、しかも遅めの台風が発生し、またずっと前線を刺激して雨は降り続くという、そんな天気予報を聞くから余計に朝陽のわずかな命の輝きに高揚する気分を抑えきれない。秋雨前線が長く居座り、雨がしとしと降り続いたり、まともに降り続いたり、風と共に降り暴れたり、生まれてこの方地球は雨しか知らないのではないかと思うような今年の秋。

秋、冬野菜の種の植え付けをするのが丁度この時期。植え付けの2週間位前にたっぷりの堆肥と、土の酸化を防ぐため苦土石灰を畑に撒いて土作りをするが、雨だと作業が出来ないばかりでなく、雨で湿りきった土がある程度、耕運機になじむ位、土の乾きが必要で、ただただ晴れてくれるのを待つばかり。太陽を待つばかり。植える時期が天候のせいで遅れると、うんと先の収穫に影響する。祈る様に陽射しを希む日が続く。

瀬戸の海から海面を這う様に、しかも真っ赤に昇る太陽は美しい。また、重なる中国山地の山々に一刻一刻と色を変えながら沈む夕陽も胸を打つ。ヨーロッパ演奏旅行中、夕暮れのパリ郊外のバスからセーヌ川に沈む太陽にも感動した。フランスの太陽は美しいと思ったが、日本で見るあの同じ太陽なんだと妙な気分になった。砂漠で迷ったら灼熱の太陽は地獄の苦しみを人間に与えるのだろう。

太陽は地球上のすべての明かりと熱と生物の生存を司る無限の力を人間から見たら持っている様に見える。が、太陽を司る更に大きな力のもとで自分の役を過不足なくやっているだけなのだろう。一つしかない太陽無しで人間は生きられない。

グローバル化!グローバル化!と必死に叫ぶ人間の声。太陽の耳にはどう響いているのだろう。

 

倉庫の屋根に覆いかぶさる様に棲息しているどんぐりの木の実の落下の音はけたたましい。

また一つ落ちた!!