輪島七尾の七輪に新聞紙四分の一を丸めて置く。その上に、家の周囲に風に吹かれて落とされた枯れ枝---その枯れ枝は点ける度に一回分を毎日拾い集める---を程よい大きさに折って重ねる。まず細い枝を、その次に中くらいの枝、一番上に小ぶりの竹輪位の太さのを3~4本、その上に備長炭を3~4個置いて、一番下の新聞紙に火を点ける。晩秋は空気の動きがある日が多いのですぐめらめらと燃え始める。煙も立ち込める。火の勢いを弱らせないため、団扇で様子を見ながら風を送り続ける。小ぶりの竹輪位の枝に火が廻り、その枝が激しく燃え始め、備長炭にその枝の炎がまとわりつき始めると一安心。放っておいてもじわじわと炭が燃え始める。木の枝が完全に真っ赤に燃え尽きた頃、七輪を部屋に入れる。備長炭は煙が出ないので部屋が煙ることはない。

最低気温5度、最高気温1617度位の晩秋の寒さ。薪ストーブを燃やすには大袈裟すぎるし、陽のあるうちは良いが、陽が落ち、晩酌を始めようとする夜10時頃の風呂上りの肌には寒すぎる。冬になろうとする時期に、備長炭の暖の程よさを今年、発見した。着火に要する時間、燃えてからそれを減らさず燃やしすぎず持続し続けるにはうってつけの暖房という大発見であった。空気の温まり具合も、床やふすまや障子や柱に馴染み易い温かさで、人間の肌にも同様、毛穴が喜んでいる感じがよく伝わってくる。

産業革命以後、人間が突っ走り続けた事は何だったのだろう。まだ突っ走り足りなくて、猛進するのか?そんな苛立ちを考える私の脳にもじわっと優しさをしみこませてくれる備長炭の暖である。

 

雨上がりの林に小枝を拾いに行き、歩みを進めるといろいろな秋を経た落ち葉の重なりの道から、昔ながらの雨後の林の香りが立ち込める。

昭和は遠くなった。