秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる

夏休み帰省した小学生の孫達が、夕食後は毎日百人一首で遊んでいる。千年以上も前の貴族の嗜みの文学をおもちゃにして遊ぶ子供達。彼等はオンラインと言う言葉も知っている。
今日は立秋
今年の立秋は愛知県の多治見で40.6度の猛暑を記録した。7月にはドイツ北西部で豪雨による川の氾濫、家屋の水没という惨事があり、しばらく国際的な話題となって映像が流れ続けた。
ドイツは勤勉、秩序、規律遵守、綺麗好き、完全主義。そんな形容詞がピッタリで、そんな国の特徴が日本との共通点として挙げられる。が、自然との関わりが国の成立の歴史に深く関係しているという事においてはヨーロッパのどの国よりも日本に似ている。
712年に編まれた古事記の中には三百近い「神」が記されている。日本人はその昔から山も川も滝も火も海も、自然界の目につくもの全て簡単に「神」にして深く信仰してきた。
ドイツはゲルマン神話を精神の拠り所にしてきた。深い森の中に人智を越えた何かが潜み存在し、そのものに対する慄きと畏敬を持ち続けてきたドイツ人。森や山岳を心の深い所の拠り所にして、歴史を重ねてきたドイツの社会では、ゲルマン神話の精神が現代でも息づいている。自動車、電気、電子、機械に次ぐものとして林業が未だに主要産業になっている。また、有機の食品、薬品、化粧品が広く社会に浸透している。国のエコロジー政策は国際的に群を抜いている。「自然」は恐るべき力の宿った得体の知れない存在で、それをドイツ人は身近に感じ厳しくとも相対して、むしろ自然を飼い慣らし利用すべきだと考え歩んできている。
人間の現実生活、精神生活に自然が息づいている日本とドイツ。
見事に人間社会に自然を取り込んで飼い慣らし利用しているドイツに比べて日本には少し物足りなさを感じる。
隙間風のように自然が人間社会を何の了解もなしに通り抜けていってしまう頼り無さ。
「風の音にぞ驚かれぬる」
風の音に動かされる自分の気持ちの中に自然を感じ、それ以上でもそれ以下でもない自然は流れて行ってしまう。
オンラインの現代社会では隙間風が通り抜けない。
何でも神にしてしまう日本人。コンピューターがどんな驚異的な力を持ち始めても「神」にはしないだろう。

台風9号は風は強くなく、夜来物凄い音を立てて雨を降らせた。日照り続きの中、恵の雨であった。雨の「神」を信じる。