3月が近づいてくると伸びる草を取ってやる作業が欠かせない。
明日から雨なので玉ねぎ、ニンニクの草取りを今日しておく。
朝早く起きた。よく晴れた、冷気を感じる早春の一日。米山(300mクラスの岩国の山)の頂から、すーっと風が舞い降りて来て、草取りをしている私をかすめ、通り過ぎて海へと出て行った。今日の岩国は最高8℃、最低1℃。寒い。昨日東京から1週間ぶりに帰って来た。
渋谷、新宿、品川、池袋などの摩天楼地区には真っ直ぐ一直線に延びた四角の高層ビルが乱立している。真四角の巨大な箱が立ち並ぶ姿は人類の進歩の象徴の確信とみなして疑いのない光景である。
我が家は明治23年(1890年)に建てられた木造家屋で、金属の釘が全く使われていない四層の梁を露見させるようにリフォームされた。カーテンは一つもなくすべて障子で、年末の障子の張替えは妻が一人でやっている。大仕事である。
障子も襖も引き戸も畳もすべて直線だ。角々して直角の交わりでそれぞれが支えられている。が、巨大な梁は曲線を描いて、その曲線の力が大きな家の全てを支えている。自然界の中で曲がって成長した巨大な木を山で見つけ出し、切り出して使ってある。それが天井高く四層にもなっているので見るからに頼もしい。梁の曲線が住む人の心に柔らかさを与えてくれる。人の手で建てられた人工の家屋だけれど、住んでいて閉塞感はない。
草取りの手を休めて見上げると、晴天の米山に白い雲が浮かんでいる。快いアクセントを感じる。改めて気に留めてみると山の稜線も曲線なのだ。当然だ。その曲線は唯一つとして同一ではない。地球上のあらゆる山々で同じ形の山は一つもない。富士山の様な単独峰でシンメトリーぽいのは何となく似ていて、津軽富士とか榛名富士とか呼ばれているが同じではない、すべての山が固有の形を持っている。
林に目を向けると、木々の枝ぶりも同一の枝は唯一つとして無い。微妙な曲線が生え巡らされていて毎年新たに成長している。
自然界の生き物はすべて曲線で出来ている!!!
と、大発見をした感動のようなものが湧いてきた。
人間も生き物だから曲線で出来ている。手も足も目も耳も内臓も細部に至るまで全て曲線で出来ている。山や樹木と同じで、同一の人は一人としていない。人工は直線、自然界は曲線。
畑から見下ろすとはるか瀬戸の青い空の下の青い海の一直線の水平線が凛としている。その水平線は一筋真っ直ぐの直線に見えても、丸い地球の上に横たわる海だ。その直線は心地よい。直線ばかり追いかける気持ちを抑えて曲線をじっと見つめていたい。
12時のサイレンが鳴った。この自然に身を置いているせいか、サイレンの音も人工的に聴こえない。私の耳が曲線になってきてしまっているのだろうか。
昼たけなは。海の青が目にしみる。
明日から雨なので玉ねぎ、ニンニクの草取りを今日しておく。
朝早く起きた。よく晴れた、冷気を感じる早春の一日。米山(300mクラスの岩国の山)の頂から、すーっと風が舞い降りて来て、草取りをしている私をかすめ、通り過ぎて海へと出て行った。今日の岩国は最高8℃、最低1℃。寒い。昨日東京から1週間ぶりに帰って来た。
渋谷、新宿、品川、池袋などの摩天楼地区には真っ直ぐ一直線に延びた四角の高層ビルが乱立している。真四角の巨大な箱が立ち並ぶ姿は人類の進歩の象徴の確信とみなして疑いのない光景である。
我が家は明治23年(1890年)に建てられた木造家屋で、金属の釘が全く使われていない四層の梁を露見させるようにリフォームされた。カーテンは一つもなくすべて障子で、年末の障子の張替えは妻が一人でやっている。大仕事である。
障子も襖も引き戸も畳もすべて直線だ。角々して直角の交わりでそれぞれが支えられている。が、巨大な梁は曲線を描いて、その曲線の力が大きな家の全てを支えている。自然界の中で曲がって成長した巨大な木を山で見つけ出し、切り出して使ってある。それが天井高く四層にもなっているので見るからに頼もしい。梁の曲線が住む人の心に柔らかさを与えてくれる。人の手で建てられた人工の家屋だけれど、住んでいて閉塞感はない。
草取りの手を休めて見上げると、晴天の米山に白い雲が浮かんでいる。快いアクセントを感じる。改めて気に留めてみると山の稜線も曲線なのだ。当然だ。その曲線は唯一つとして同一ではない。地球上のあらゆる山々で同じ形の山は一つもない。富士山の様な単独峰でシンメトリーぽいのは何となく似ていて、津軽富士とか榛名富士とか呼ばれているが同じではない、すべての山が固有の形を持っている。
林に目を向けると、木々の枝ぶりも同一の枝は唯一つとして無い。微妙な曲線が生え巡らされていて毎年新たに成長している。
自然界の生き物はすべて曲線で出来ている!!!
と、大発見をした感動のようなものが湧いてきた。
人間も生き物だから曲線で出来ている。手も足も目も耳も内臓も細部に至るまで全て曲線で出来ている。山や樹木と同じで、同一の人は一人としていない。人工は直線、自然界は曲線。
畑から見下ろすとはるか瀬戸の青い空の下の青い海の一直線の水平線が凛としている。その水平線は一筋真っ直ぐの直線に見えても、丸い地球の上に横たわる海だ。その直線は心地よい。直線ばかり追いかける気持ちを抑えて曲線をじっと見つめていたい。
12時のサイレンが鳴った。この自然に身を置いているせいか、サイレンの音も人工的に聴こえない。私の耳が曲線になってきてしまっているのだろうか。
昼たけなは。海の青が目にしみる。
コメント